鉛色の海、打ち寄せる白波。そんな冬の日本海のモノクロームな景色の中に、突然、色彩豊かな場所が現れます。
それが越前海岸の水仙畑です。
碧々とした葉の中に白と黄色の花が咲き、甘い香りが漂うその場所は、まさに楽園のよう。
しかし、この水仙は自生してるものではありません。土地の人々が生業として水仙栽培を選択し、水仙の球根を植えることによって広がっていった「畑」なのです。
古来、越前海岸の冬の暮らしは大変厳しいものでした。荒れた海では漁に出ることはできず、働く場所の無い男衆は杜氏や土方、船乗りなどとして遠くへ出稼ぎに行くことが当たり前。そんな中、越前海岸の下岬村、上岬村、糠浦の人々は、海岸に自生していた水仙に目を付けました。花の流通が盛んになり始めた大正から昭和の初めにかけて、球根を株分けして栽培面積を広げ、切り花を大量に出荷するようになったのです。
鉄道網の発達により、越前海岸の水仙は、県内だけでなく、関西・中京方面にも流通するようになりました。昔は冬に流通する花はほとんど無く、越前水仙はお正月を飾る花として大変珍重されました。特に華道において、水仙は格の高い花として扱われ、それは現在でも変わっていません。
昭和時代初頭から本格化した水仙切り花の出荷ですが、それでも今に見るような広大な水仙畑はまだありませんでした。昔は棚田では稲作が行われ、集落に近い傾斜地は根菜類や桑の畑だったといいます。それが昭和の終わりから平成の初め頃には殆どが水仙畑になりました。稲作の減反政策、水仙の特産化、水仙を核とした観光振興など、時代の流れにより、風景は変わっていったのです。
人々がその土地の風土に合わせた生活をし、生業を営む中で形作られていった風景のことを「文化的景観」と呼んでいます。越前海岸の水仙畑は、厳しい日本海の冬を生き抜く術として、土地の人々により育まれた文化的景観です。ぜひ現地を訪れ、楽園のような水仙畑を体感していただければと思います。