来年もキレイな越前水仙が咲きますように

越前海岸沿いの福井市居倉町。ここは水仙の発祥の地と言われている。そんな居倉町で、こしの水仙部会の山本正男さんに出会った。
この日、刈り取った水仙を見つめる山本さんは、まるで我が子の成長を喜びつつも、どこか将来を心配するような表情だった。その背景には、シカやイノシシによる食害、生産農家の高齢化や後継者不足がある。
水仙はこの地域の生活を支えてきたもの。来年、再来年、そして10年後も今と変わらない水仙のある風景を維持するため、何ができるだろうか。不安な顔から笑顔に変えたいと素直に思った。

前田 和磨
1983年8月10日生まれ。
坂井市出身。
平成22年 福井県庁入庁。平成30年 「越前海岸の水仙畑 文化的景観保存調査報告書」作成に携わりました。
37年間ずっと福井にいます。これからも大好きな福井のために出来ることをしたいです。

ここがおすすめポイントだ!

水仙農家 山本正男さんに越前水仙の絶景写真をお願いしたら八ツ俣町の湾を見渡す山の上に連れてきてくれた。
日本水仙は、種はつけることができず球根で増える。花が終わると土の中で球根を分け、増やし、その命をずっと繋いでいる。だからといって、水仙は自分だけで綺麗に咲くことはできない。
水仙農家は、花が咲く12月~1月の2カ月間切花出荷を行う。出荷が終わると、次の世代への活動が始まる。「お礼肥え」といわれる肥料をあげ、水仙の球根が次の世代への力を貯めるための手助けをする。5月に葉が枯れれば、雑草に負けないようにと5月・8月の年2回草刈りを行う。いかに手を掛けたがで、その年の水仙の出来栄えが決まるという。それは、一年の積み重ねであり、先祖代々積み重ねてきたものである。水仙がないと作り出せない絶景は、水仙農家が作っている。

中村 麻由美
福井市園芸センター 園芸技師。
越前水仙の試験研究、栽培農家の支援を行う。

たくましき越前水仙

この撮影をしたのは、2021年の1月末。
1月初旬の大雪によって、普段は積雪が少ない越前海岸にも50㎝程の雪が積もり、水仙畑が雪でつぶされてしまったと聞いていました。
心配しながら水仙畑を訪れてみると、雪はほとんど解けたものの、やはりうなだれている水仙が多い…。さらに歩みを進め、上の方の水仙畑に入ってみると、スッと立ちあがって咲いている水仙群を見つけました。
越前水仙のたくましさに惚れ直した瞬間でした。

高野 麻実
福井生まれ→大阪→福井在住。
建築設計や地域づくりを生業のベースに、他分野の活動を行っている。
2020年より、水仙産地の新しい生業づくりに取り組む「ノカテ」を共同設立。

風景の守り人

水仙はつぼみのまま、畑も青々とした12月が、実は収穫の最盛期である。越前水仙は、とても厳しい出荷基準を設けている。花が咲いてしまうと出荷できないのだ。
急斜面の畑には、年2回の下草狩り、肥料やり、そして収穫と、一年を通して手を入れないと、ススキや雑草に負けて 水仙は育たなくなるという。「大変そうですね」と思わず声をかけると「平地よりも斜面の方が、かがまなくて良いから、草刈りも収穫もやりやすい」と笑う。
彼らがいるからこそ、守り、伝えられる風景。カメラを向けると、照れながらもこちらを向いた顔は水仙に負けずキリッとして、とても誇らしく見えた。

倉橋 宏典
東京で都市計画・まちづくりのコンサルタントで働いたのち、11年前に福井にUターン。
現在は福井県庁。子供と一緒にカメラ修行中。

陽射し

日本海を望む山の急斜面と、そこに広がる水仙畑。ガードレールの切れ目はその入り口。横付けされたシニアカーは、畑での収穫に精を出す水仙農家さんが乗ってきたものだ。
荷台には大きな箱が取り付けてあって、農家さんはそのうち、これがいっぱいになるほどの花を摘んで戻ってくるだろう。
この場所に注がれる陽射しは、水仙を巡る営みが今日もたしかに続いていることを知らせてくれているようで、その光景の美しさに思わず足を止めた。

高橋 要
山形県出身1988年生まれ。
地域おこし協力隊として2015年に福井に移住し、高齢化と人口減少の著しい越前海岸エリアを拠点に活動。2019年より株式会社akeruに所属。
現在はまちづくりのコーディネーターやライターとして幅広く活動。

越前水仙とは

鉛色の海、打ち寄せる白波。そんな冬の日本海のモノクロームな景色の中に、突然、色彩豊かな場所が現れます。
それが越前海岸の水仙畑です。

碧々とした葉の中に白と黄色の花が咲き、甘い香りが漂うその場所は、まさに楽園のよう。
しかし、この水仙は自生してるものではありません。土地の人々が生業として水仙栽培を選択し、水仙の球根を植えることによって広がっていった「畑」なのです。


古来、越前海岸の冬の暮らしは大変厳しいものでした。荒れた海では漁に出ることはできず、働く場所の無い男衆は杜氏や土方、船乗りなどとして遠くへ出稼ぎに行くことが当たり前。そんな中、越前海岸の下岬村、上岬村、糠浦の人々は、海岸に自生していた水仙に目を付けました。花の流通が盛んになり始めた大正から昭和の初めにかけて、球根を株分けして栽培面積を広げ、切り花を大量に出荷するようになったのです。
鉄道網の発達により、越前海岸の水仙は、県内だけでなく、関西・中京方面にも流通するようになりました。昔は冬に流通する花はほとんど無く、越前水仙はお正月を飾る花として大変珍重されました。特に華道において、水仙は格の高い花として扱われ、それは現在でも変わっていません。


昭和時代初頭から本格化した水仙切り花の出荷ですが、それでも今に見るような広大な水仙畑はまだありませんでした。昔は棚田では稲作が行われ、集落に近い傾斜地は根菜類や桑の畑だったといいます。それが昭和の終わりから平成の初め頃には殆どが水仙畑になりました。稲作の減反政策、水仙の特産化、水仙を核とした観光振興など、時代の流れにより、風景は変わっていったのです。


人々がその土地の風土に合わせた生活をし、生業を営む中で形作られていった風景のことを「文化的景観」と呼んでいます。越前海岸の水仙畑は、厳しい日本海の冬を生き抜く術として、土地の人々により育まれた文化的景観です。ぜひ現地を訪れ、楽園のような水仙畑を体感していただければと思います。

越前海岸の『越前水仙』を伝えるローカルフォト

令和3年3月26日、日本水仙の三大群生地のひとつである「越前海岸の水仙畑の文化的景観」が国の重要文化的景観に選定されました。
この地で栽培される水仙は「越前水仙」のブランド名で全国に出荷され、厳冬の日本海を背景に急峻な斜面地で栽培される「越前水仙」の咲く姿は、福井の冬の風物詩のひとつとなっています。

私は水仙栽培をはじめ、様々な生活・生業と景観を築く源を探るべく地域に入り、植物を調べ、石積みを調べ、年長者から話を聞くうちに、すっかりこの地域の奥深さに魅了されました。私の関わった重要文化的景観選定までの道のりは、まさに「地域らしさ」を見つける過程だったのです。

そして、この感動を多くの人と分かち合いたいと思うようになり、そんな時に出会ったのがローカルフォトという取り組みでした。
カメラと写真の力によりこの地域の魅力を見つけ、発信していくローカルフォトプロジェクト『越前水仙カメラ』。
ローカルフォトを学び、実際にメンバーが撮影した“越前水仙の感動”に共感いただけたら幸いです。


福井市文化財保護課 藤川明宏