越前水仙が、咲き続けるために

水仙の「見頃時期」は1月から2月。越前海岸でもその頃になると、荒れた日本海を見つめて小さいながらも香り立つ、水仙の群生する姿を見ることができます。
実は、ここで咲いている水仙が生花店に並ぶことはありません。育ち具合が足りず出荷できなかった水仙たちなのです。
水仙は球根から育ちます。次の年には新しい花を咲かせますが、咲いたままでいると球根は痩せて元気がなくなり、だんだんと花をつけられなくなってしまいます。
「せっかく咲いているのに摘み取るの?と思うかもしれないけど、その方がいいんだよ」と水仙農家さんは教えてくれました。今度は、翌年元気に花を咲かせてくれるように、水仙農家さんと一緒に摘み取りに来よう、と思いました。

石原 康宏
㈱JTB福井支店
観光開発プロデューサー

水仙農家のおじさん

知らない水仙農家さんと話す。その上、写真まで撮らせてもらうなんて絶対無理だー。
最初はそう思っていました。でも実際は、聞いたら何でも教えてくれる優しい人しかいませんでした。これは、私が撮った中で1番笑顔が素敵な一枚です。
取材のたびに水仙をもらって帰りました。お母さんが玄関に飾ってくれました。家に帰ってドアを開けると一番に水仙の香りがして「お帰りー」と、言ってくれているような気がしました。
今年は水仙の花が好きになった冬でした。

倉橋 築子
小学校5年生(撮影時)。
3人兄妹の長女。
サンタさんにもらったOLYMPUS E-M10 MarkⅢとともに、カメラ修行中。

水仙と過ごした年月

「水仙農家の皆さんにどんどん質問してください」と促され、お仕事のやりがいや、水仙に対する愛情を質問しかけて、ふとためらう自分がいた。外から来た私たちの勝手な期待を込めた質問だと思ったからだ。
水仙の育て方を質問すると熱心に教えてくれる。収穫するための鎌や籠から様々な工夫が見て取れる。優しい手つきで花を扱う。そんな様子の端々から、水仙と共に過ごした年月に想いを馳せることができる。野暮な質問をしなくても、私にはそれで充分だった。

黒川 照太
1981年生 福井市出身。
学生時代を別府市にあるグローバル大学で過ごし、卒業後は東京でNPO支援、まちづくり、コミュニティづくりの仕事に携わる。現在は家業を継ぐため福井にUターンし、新規事業を模索する毎日。

来年もキレイな越前水仙が咲きますように

越前海岸沿いの福井市居倉町。ここは水仙の発祥の地と言われている。そんな居倉町で、こしの水仙部会の山本正男さんに出会った。
この日、刈り取った水仙を見つめる山本さんは、まるで我が子の成長を喜びつつも、どこか将来を心配するような表情だった。その背景には、シカやイノシシによる食害、生産農家の高齢化や後継者不足がある。
水仙はこの地域の生活を支えてきたもの。来年、再来年、そして10年後も今と変わらない水仙のある風景を維持するため、何ができるだろうか。不安な顔から笑顔に変えたいと素直に思った。

前田 和磨
1983年8月10日生まれ。
坂井市出身。
平成22年 福井県庁入庁。平成30年 「越前海岸の水仙畑 文化的景観保存調査報告書」作成に携わりました。
37年間ずっと福井にいます。これからも大好きな福井のために出来ることをしたいです。

ここがおすすめポイントだ!

水仙農家 山本正男さんに越前水仙の絶景写真をお願いしたら八ツ俣町の湾を見渡す山の上に連れてきてくれた。
日本水仙は、種はつけることができず球根で増える。花が終わると土の中で球根を分け、増やし、その命をずっと繋いでいる。だからといって、水仙は自分だけで綺麗に咲くことはできない。
水仙農家は、花が咲く12月~1月の2カ月間切花出荷を行う。出荷が終わると、次の世代への活動が始まる。「お礼肥え」といわれる肥料をあげ、水仙の球根が次の世代への力を貯めるための手助けをする。5月に葉が枯れれば、雑草に負けないようにと5月・8月の年2回草刈りを行う。いかに手を掛けたがで、その年の水仙の出来栄えが決まるという。それは、一年の積み重ねであり、先祖代々積み重ねてきたものである。水仙がないと作り出せない絶景は、水仙農家が作っている。

中村 麻由美
福井市園芸センター 園芸技師。
越前水仙の試験研究、栽培農家の支援を行う。

たくましき越前水仙

この撮影をしたのは、2021年の1月末。
1月初旬の大雪によって、普段は積雪が少ない越前海岸にも50㎝程の雪が積もり、水仙畑が雪でつぶされてしまったと聞いていました。
心配しながら水仙畑を訪れてみると、雪はほとんど解けたものの、やはりうなだれている水仙が多い…。さらに歩みを進め、上の方の水仙畑に入ってみると、スッと立ちあがって咲いている水仙群を見つけました。
越前水仙のたくましさに惚れ直した瞬間でした。

高野 麻実
福井生まれ→大阪→福井在住。
建築設計や地域づくりを生業のベースに、他分野の活動を行っている。
2020年より、水仙産地の新しい生業づくりに取り組む「ノカテ」を共同設立。

風景の守り人

水仙はつぼみのまま、畑も青々とした12月が、実は収穫の最盛期である。越前水仙は、とても厳しい出荷基準を設けている。花が咲いてしまうと出荷できないのだ。
急斜面の畑には、年2回の下草狩り、肥料やり、そして収穫と、一年を通して手を入れないと、ススキや雑草に負けて 水仙は育たなくなるという。「大変そうですね」と思わず声をかけると「平地よりも斜面の方が、かがまなくて良いから、草刈りも収穫もやりやすい」と笑う。
彼らがいるからこそ、守り、伝えられる風景。カメラを向けると、照れながらもこちらを向いた顔は水仙に負けずキリッとして、とても誇らしく見えた。

倉橋 宏典
東京で都市計画・まちづくりのコンサルタントで働いたのち、11年前に福井にUターン。
現在は福井県庁。子供と一緒にカメラ修行中。

陽射し

日本海を望む山の急斜面と、そこに広がる水仙畑。ガードレールの切れ目はその入り口。横付けされたシニアカーは、畑での収穫に精を出す水仙農家さんが乗ってきたものだ。
荷台には大きな箱が取り付けてあって、農家さんはそのうち、これがいっぱいになるほどの花を摘んで戻ってくるだろう。
この場所に注がれる陽射しは、水仙を巡る営みが今日もたしかに続いていることを知らせてくれているようで、その光景の美しさに思わず足を止めた。

高橋 要
山形県出身1988年生まれ。
地域おこし協力隊として2015年に福井に移住し、高齢化と人口減少の著しい越前海岸エリアを拠点に活動。2019年より株式会社akeruに所属。
現在はまちづくりのコーディネーターやライターとして幅広く活動。