60年の時を経た竹籠を背負って

梨子ヶ平千枚田の水仙畑で水仙の収穫を行う滝本さん。収穫した水仙を大きな竹籠に集めて背負います。竹籠などをつくる竹細工は、昭和50年ごろまで下岬地区の浜北山で行われていた手仕事です。
竹籠は水仙の収穫に、竹笊は海苔採りなどの漁に使われていました。生活の日用品や農具・漁具として欠かせない役割を担っていたこの土地の竹細工は、時代の流れとともに廃れました。今この竹籠を編むことのできる人は越前海岸にいません。
滝本さんの背負う竹籠は60年物。この背負い籠は縄で調整して背負うので、身体にぴったりと合わせることができます。年季の入った竹籠は、時を経てなお道具の美しさと機能美を持ち合わせながら現役で活躍しています。

牛久保 聖子
福井駅前で「クマゴローカフェ」を運営中。
Webメディアreallocal福井にてライターをしている。福井に暮らして7年。3歳のやんちゃ坊主の子育て中。好きな福井の日本酒は花垣。好きな福井の酒の肴は塩雲丹。

「想い」がつなぐ、越前水仙

日本海に面し、厳しい海風が吹き寄せる福井県の越前海岸。ここ南越前町の糠地区にも、かつては沿岸一帯に越前水仙が咲き誇っていました。
異変が起こり始めたのは15年ほど前。南の方からイノシシやシカが北上し、甚大な被害によってその美しい景観が損なわれてしまったのです。
一時は「意気消沈してしまい、もう栽培を諦めようかと思った」と語るのは水仙農家の大浦和博さん。それでも、町や他の農家さんと協力しながら、球根を植え、草を刈り、イノシシやシカの防護柵を設け、再び越前水仙が花を付けられるように尽力されてきました。
そんなある日、水仙の摘み取り体験で訪れた時のこと。「しばらく畑に入っていないから、咲いているかどうか・・・」と、やや不安な面持ちの大浦さんと坂を上ると、そこには少ないながらも健気に咲く水仙の姿が。
「これならまた、やる気が出るね」と、嬉しそうに話す大浦さん。その優しい眼差しが、とても印象的で心に残りました。

石原康宏
㈱JTB福井支店 観光開発プロデューサー
2014年に愛知から転勤で福井へ。福井の風土とヒトに魅入られて移住・定住を決意。多くの文脈で福井を語れることに至福の喜びを感じる46歳。

徒歩でこそ気づくこと。糠地区の魅力

細⾧く小さな谷に密集する家々。人がすれ違うことも難しく、まるで迷路のような路地の数々。切り立った急階段の先、高台に位置する神社には多くの狛犬達。
古くから漁業や農業、冬季の越前糠杜氏など様々な伝統産業が営まれてきた南越前町糠地区は、「徒歩」でないとその魅力に出合えない集落かもしれない。区⾧の田中正則さんによると、以前は集落の中心部に川が流れ、川を埋めるまでは床下まで浸水することも多かったそう。

今はS字カーブの道路が印象的なこの地区を田中区⾧のガイドで歩いてみると、石積みの印象的な箇所や日本海を見渡せる高台など新たな発見がいっぱい。どの地区にも歴史あり。一度ぜひ、車から降りてまち歩きを楽しんで。

木曽 智裕
福井新聞社月刊fu編集部
(fuプロダクション)所属。

厳しい世界を生き抜いた糠杜氏の正直さ

福井県の南越前町にある糠地区。山、海、川との距離が近いここは「越前糠杜氏」の発祥地として有名だ。この地で生まれ育った藤野さんは、中学卒業とともに京都府伏見の酒造へ就職した。
日本酒になる前の醪(もろみ)を見て仕上がりを見極められるようになるまで、長い経験が必要だという。炊事担当から始まり、努力が認められれば徐々に役職が上がっていく。その最上位が杜氏だ。
「早く杜氏になりたいという気持ちはずっとありました」と藤野さん。実際に
杜氏になると、その責任の重さを実感したそう。悩んだら相談し、ミスをしたら報告する。誤魔化しがきかない世界だからこそ、正直でいなければならないと語った。
「厳しい世界だったけど、嫌になることはなかったですね」と笑う藤野さん。酒造りは難しいからこそ面白いのだという。その正直さと強い心が、今も糠地区に受け継がれてい
るのだろうと感じた。

本多 鼓

かつての糠集落

冬になると海から谷に向かって「たばかせ(北西からの強風)」が吹き付け厳しい寒さが集落を襲う。その寒さ故に昔は、男は出稼ぎへ(酒造り)、女は水仙を収穫した。住戸数が極めて多く越前杜氏集団のかつての繁栄を思わせる。しかし、現在は現役杜氏もいなくなり水仙も獣害の大きな被害を受けて壊滅状態である。
険しい谷間に建ち並ぶ民家群と円光寺の方形屋根を十九社神社の境内から、カメラ越しに望む。今は見られないかつての集落の暮らしを想像すると、目の前の風景が愛おしく感じられた。

田上夏伊

神秘の水仙畑

山の斜面に、スカートがひらりと波打つように見える水仙畑。
「神秘」の花言葉を持つ水仙の本気、に立ち向かってみたくなり、
思わず切り撮った景色です。

越前水仙カメラに参加して、身近にありすぎて気がつかなかった
水仙の魅力を再発見できました。
小さくかわいいだけじゃなく、雪の中でも花を咲かせる強さ。
水仙農家さんの手によって作り続けられた景色。
鹿にいたずらされず、畑いっぱいに咲いている景色は、奇跡と言っていい。

「写真にすると古くなる」なんて歌もあるけれど、この日の景色が色あせず
10年後、その先の将来も子供や孫と見れるといいな。

林 美穂
福井県福井市生まれ。
趣味は、サウナで無心に汗をかいて、知らない人に話しかけられること。
特技は、知らない土地で現地の人と間違われるのか、道を聞かれること。
これからやりたいことは
福井の全酒蔵巡り!

水仙畑という宇宙

福井市居倉町の急斜面の水仙畑。12月なので、まだ水仙の花はポツポツとしか咲いておらず、一面に濃い翠色が広がっている。そこにオレンジ色のヤッケをきた農家さんが今は盛りと水仙の刈り取りを進めていた。そう、水仙出荷の最盛期は花がまだ咲ききらない12月なのだ。12月の日本海といえば北西の季節風が強くなり、雪や霙が吹き降る季節。収穫作業は決して楽ではないはず。でも農家さんはこともなげに急な斜面をすいすいと進みながら収穫を行う。写真に収めた農家さんの姿は、まるで水仙畑という名の翠の宇宙を遊泳する飛行士のよう。その姿に少し憧れる。

藤川 明宏
福井市立郷土歴史博物館 学芸員。専門は歴史考古学と仏教美術を少々。三角縁神獣鏡チョコの職人。福井の仏像を調査中。最近は越前海岸の水仙畑にも詳しい。

がんばって‼︎田中さん

水仙農家の田中民子さんのお話を、カメラ越しではなく初めてたくさん聞けました。そして、田中さんがどれだけ大変かをあらためて実感しました。
斜面の中で水仙を刈ったり草刈りをするのは大変ではないですかと聞くと「そりゃあ厳しいしきついよ」と言っていました。もっとたくさんの人が協力して作業をしていると思っていたので80歳近い田中さんが一人でやっていると聞いてびっくりしました。
また、きれいな水仙を出荷するためにきっちり一本一本切り揃え「え、ち、ぜ、ん」という30センチから50センチまで5センチ刻みで規格寸法が書かれた板の上で仕分けして箱詰めしています。これを毎日やられていると思うと頭がクラクラしてきます。

大変なお仕事でいつもやめてしまいたいと思っているのに、「水仙を愛しています」といった時、とても力強く若々しく見えました。

倉橋 築子
小学校6年生(撮影時)。
3人兄妹の長女。
ローカルフォトに2年連続で参加。
将来の夢の一つはカメラマン。

越前水仙のこころ

越前水仙を年間3万本出荷するという田中民子さんに話を聞きました。

水仙出荷歴25年と聞いていたのでがっしりした方を想像していましたが、思ったよりも小柄なことにまずびっくりしました。田中さんは、今年80歳には思えないほど肌はつやつや、背筋はしゃんとしておられ、すたすた歩いて登場されました。

田中さんは、越前海岸に生まれ育ち、55歳から家業であった水仙農業に取り組んだそうです。

水仙は、海岸沿いの急斜面で育てられます。海からの風、水はけのよさなどから、この急斜面が水仙の栽培には必須の条件だと田中さんは語ります。

私なら立っているのもやっとなほどの急斜面。草刈りも、収穫も、水仙農家歴25年の田中さんにとっても、「とてもつらい」ことなのだそうです。

水仙出荷期の冬。田中さんが、畑にでて水仙を刈るのは1日2時間ほど。実は、刈り取った後の作業に膨大な時間がかかります。

収穫された水仙は、出荷までに、洗って泥を落とす、水揚げする、株を切りそろえる、葉の数で選別する、などの作業が必要です。蔵での一連の作業は、水仙の品質をよくするために、ドアも開け放ち寒い中、行われます。1ヶ月ほどの出荷期には、寝る間を惜しんで夜10時くらいまでの作業が連日続けられます。

「越前水仙」ははかまの長さなど規格が厳格に定められ、満たしたものだけが出荷されます。「1日でも長持ちするように」という田中さんの思いをのせて、水仙が出荷されていきます。

聞けば聞くほど、水仙農業は過酷です。しかし、田中さんの語り口は爽やかで、私は辛いだろうに・・・なぜだろう?と思いながら話を聞いていました。

「私は水仙を愛しています」

と田中さんが口にされたとき、私の胸はきゅんとし、ナゾがとけたような気がしました。

田中さんは続けて、水仙の魅力を、素朴で控えめなところと語りました。

私は、田中さんの姿そのものだなぁと感じました。

さて、田中さんから1束いただいた水仙は、2週間たった今もわが家の玄関で、いい香りを漂わせ咲いています。毎晩、仕事を終えて帰宅したときにまずかぐ香りは、私の気持ちを落ち着かせてくれます。そして、田中さんの笑顔を思い出し、また、あの海岸に水仙を見にいきたいなぁと思うのです。

鷲山 香織

引き継がれ続く生業

福井県越前海岸の北に位置する越廼(こしの)地区は、『越前水仙』の発祥の地とされる。今も、40軒以上の水仙農家がいるそうだ。皆、親から畑と技術を引き継ぎ、水仙栽培を生業として続けているという。

年間3万本以上を出荷する、田中 民子(たなか たみこ)さんもその一人である。水仙栽培をする親を子供のころから手伝い、役場に勤めていた時期も、休みの土日に手伝いをしていたという。55歳の定年を機に、親から水仙栽培を継ぎ、79歳になった今も現役農家だ。越前水仙を切花として出荷するまでには、収穫、切り口の洗浄や調整、選別、結束と多くの工程があり時間もかかる。それを田中さんは、一人で行っている。
「子供が時間あるとき、ときたま手伝ってくれるの。」と笑って話す田中さんは、日本海のきびしい風雪に耐える越前水仙のように強く、そして控えめないでたちである。親から子供に引き継がれ、越前水仙栽培がこれからも続いて欲しい。

中村 麻由美