夫婦が届ける想い

越前水仙の露地の切花出荷は、11月下旬から始まり12月中旬にピークを迎え1月上旬までの約2カ月行われる。
良い切花が出荷できるようにと肥料散布や草刈りを含め一年間をかけ大切に育てられた水仙は、この2カ月間しか収穫できない。この2カ月間、水仙農家は朝から晩まで寝る間を惜しんで水仙に時間をかけている。

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越前水仙農家さん

2年目となる越廼地区をはじめ、越前海岸で「越前水仙」の栽培をされている水仙農家さんにお話を聞きました。
作業中、苦しい時は買って下さったお客さんが花瓶に活けて喜んでいる笑顔を思い浮かべ、水仙を傷めないよう一日でも長く持たす為に水仙の根本のハカマを綺麗に長く切るように工夫されているとのこと。

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笑顔

山本さんの水仙畑は山の中にあります。畑からは海が見えました。
ここでローカルフォトのみんなで、山本さんを囲んで、お話を聞いている時に撮りました。
水仙のお話をしている時は真剣な顔の山本さんが、ふとすごい笑顔になって、いまだ!と思い夢中でシャッターを切りました。

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刈り取り後の姿

水仙農家の藤崎愛子さんは畑脇の水場で、刈り取ったばかりの茎から泥を落としながら、越前水仙の厳しい規格についてお話ししてくださった。
はかま(球根から生えてくる白い部分)の長さ、花の長さ。葉っぱは4枚。花は3輪以上で尚且つ一輪のみ3分咲きであとは蕾のもの。だから畑は青かったのか。
数多の中から規格に叶う物を探してみたが、さっぱりであった。ちょっと厳し過ぎやしませんか。と、いい加減な私はつい思ってしまう。無造作に刈り取っておられるようで、きちんと見極めている、経験に裏打ちされた目に恐れ入った。洗い終えた水仙をキュッと結えて抱えたお姿がとてもかっこ良く見えたので撮らせていただいた。

倉橋 藍
大阪府箕面市出身の3児の母。
食をテーマにオテシオとして活動中。
学生時代日本カメラ博物館でカメラについて学ぶ。
だが写真の腕前は娘に水をあけられている。

水仙畑の時間

11月、花の見ごろには少し早い居倉町の水仙畑では、イチョウの黄色が思いのほか鮮やかだった。こんなにもイチョウが多いのは、以前に銀杏を採って出荷していたからと聞いた。
あらためて見直してみると、穏やかな景色のなかにそれまで越前海岸の人びとが取組んできた生業の跡がそこここに残されていた。水仙畑はかつての棚田であり、小ぶりだけれど味のしまった蜜柑も市場に出していた時期があったという。ほかにも三椏やアブラギリなどが時々に栽培・採取され、それらが組み合わされて生計の助けになっていたのだ。
険しくて、そして美しい水仙畑から、そこでの人びとの取組みと時間の重なりがどれほど読みとれるか、もう少しやってみたいと思っている。

柳沢 芙美子

埼玉生まれですが、
ふくいでの暮らしも30年を越えました。
資料を読み解きながら、
浮かび上がってくるふくいの物語を
書きとめていきたい。
できたらカメラでも、
と思う。

選別作業

福井市下岬地区の藤崎愛子さんに、出荷前の越前水仙の選別作業について教えていただいた。
越前水仙の出荷規格は細かい。長さを書いた板に並べて分類する。さらに花つき、白い袴部分の長さ、葉が4枚か、花が葉よりも短いかなども、重要だ。
今回見せていただいたのは、刈り取った水仙を湧き水で洗い、選別する作業。花が開かないよう冷水で泥を落とし、葉先が赤茶けていないかを、流れるような手つきで厳しくチェックしていく。鎌に目印のテープを貼り、長さをこの段階から選り分けはじめるのが藤崎さん流だ。この後、小屋で細かく選別し長さごとに束にする。収穫の3倍以上の時間が選別作業に費やされる。農家さんの選別へのこだわりとプライドが、そのまま越前水仙のブランド力になっている。

北村 明恵
福井市図書館勤務。
チーム福井ウィキペディアタウンとして、福井の情報をWikipediaに掲載する活動を推進しています。

水仙農家の暮らし

越前岬の近くにある上岬地区で梨子ケ平千枚田水仙園の水仙農家の作業風景。
早朝より雪も舞い急斜面で日本海から冷たい風も吹き上がる場所での収穫作業。防寒着を付けて鎌と収穫した水仙を入れる籠を担いで出かける。刈り取りに便利なように鎌も工夫してあり、袴(茎)からスムーズに採れるようになっていた。
午前中の収穫を終えると、昼頃には農家の作業場に戻り水仙の茎や葉から土などの汚れを洗い流す作業を始める。その為に作業場には水道の蛇口と桶が置かれている。冷たい水を使いその後商品価値を上げるため斜めになった袴を綺麗に揃える作業。そして袴の長さや葉の枚数などで商品価値が変わるので夜更けまで丁寧に選別すると言う。

吉田隆一

60年の時を経た竹籠を背負って

梨子ヶ平千枚田の水仙畑で水仙の収穫を行う滝本さん。収穫した水仙を大きな竹籠に集めて背負います。竹籠などをつくる竹細工は、昭和50年ごろまで下岬地区の浜北山で行われていた手仕事です。
竹籠は水仙の収穫に、竹笊は海苔採りなどの漁に使われていました。生活の日用品や農具・漁具として欠かせない役割を担っていたこの土地の竹細工は、時代の流れとともに廃れました。今この竹籠を編むことのできる人は越前海岸にいません。
滝本さんの背負う竹籠は60年物。この背負い籠は縄で調整して背負うので、身体にぴったりと合わせることができます。年季の入った竹籠は、時を経てなお道具の美しさと機能美を持ち合わせながら現役で活躍しています。

牛久保 聖子
福井駅前で「クマゴローカフェ」を運営中。
Webメディアreallocal福井にてライターをしている。福井に暮らして7年。3歳のやんちゃ坊主の子育て中。好きな福井の日本酒は花垣。好きな福井の酒の肴は塩雲丹。

「想い」がつなぐ、越前水仙

日本海に面し、厳しい海風が吹き寄せる福井県の越前海岸。ここ南越前町の糠地区にも、かつては沿岸一帯に越前水仙が咲き誇っていました。
異変が起こり始めたのは15年ほど前。南の方からイノシシやシカが北上し、甚大な被害によってその美しい景観が損なわれてしまったのです。
一時は「意気消沈してしまい、もう栽培を諦めようかと思った」と語るのは水仙農家の大浦和博さん。それでも、町や他の農家さんと協力しながら、球根を植え、草を刈り、イノシシやシカの防護柵を設け、再び越前水仙が花を付けられるように尽力されてきました。
そんなある日、水仙の摘み取り体験で訪れた時のこと。「しばらく畑に入っていないから、咲いているかどうか・・・」と、やや不安な面持ちの大浦さんと坂を上ると、そこには少ないながらも健気に咲く水仙の姿が。
「これならまた、やる気が出るね」と、嬉しそうに話す大浦さん。その優しい眼差しが、とても印象的で心に残りました。

石原康宏
㈱JTB福井支店 観光開発プロデューサー
2014年に愛知から転勤で福井へ。福井の風土とヒトに魅入られて移住・定住を決意。多くの文脈で福井を語れることに至福の喜びを感じる46歳。